西暦
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フーテナニー日程
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参加・脱退
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常任委員長
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実行委員長
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トピックス
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1967
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−
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−
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−
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−
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「全日本フォークソングクラブ連盟」結成を目指し8校(*1)が結集 |
1968
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連盟祭 6月 |
−
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成城 中村 裕 |
−
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関フォー連正式結成、上記8校にて連盟祭が開かれる。
機関紙「Major9th」の発行。以降、毎年各校の情報や加盟委員の住所録などを掲載。 |
1969
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第1回 5月3日 |
+早稲田 |
成城 中村 裕 |
−
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早稲田が加盟し9校となる。 |
1970
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第2回 5月3日 |
+法政 |
神大 上野一明 |
中央 寺坂訓治 |
連盟員が1000人を超える。法政が加盟。
加盟校は10校となる。 |
1971
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第3回 5月3日 |
なし |
駒澤 向後雄一 |
神大 久保昭夫 |
− |
1972
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第4回 5月3日 |
+家政、−早稲田 |
中央 内田正昭 |
成城 宮原徳雄 |
早稲田が脱退(部自体は現在も存続)。
家政が加盟。 |
1973
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第5回 5月3日 |
なし |
慶応 京極 謙 |
神大 池田重雄 |
− |
1974
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第6回 5月3日 |
なし |
明治 今井幸洋 |
独協 井上 弘 |
− |
1975
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第7回 5月18日 |
なし |
独協 森川憲一 |
神大 森 芳章 |
5月3日雨天→18日に順延 |
1976
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第8回 5月2日 |
+山脇、白百合 |
慶応 疋田 清 |
獨協 織田仁士 |
山脇と白百合が加盟。加盟校は12校となり、以降84年まで変動なし。 |
1977
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第9回 5月3日 |
なし |
慶応 江頭 純 |
駒沢 尾崎忠広 |
− |
1978
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第10回 5月6日 |
なし |
独協 森越 守 |
成城 岩崎芳夫 |
4月30日雨天→6日に順延
第10回を記念してフーテナニーのテーマソングとして「くちびるに歌を」とシンボルマーク「カツオ」が公募で決定する。
シンボルマーク「カツオ」 |
1979
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第11回 6月3日 |
なし |
神大 磯田義弘 |
駒沢 坂口雄二 |
2枚組みライブレコード作製(83年まで続く) |
1980
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第12回 5月3日 |
なし |
神大 佐藤 誠 |
駒沢 柳原謙一 |
機関紙「Major9th+3」が正式に「Major12th」と改名される。 |
1981
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第13回 5月2日 |
なし |
駒沢 栗原雅也 |
独協 日下部昇 |
関フォー連以外の招待校を合同曲メンバーとして招き始め、関ミューソー(*2)などの外部団体との交流も盛んとなる。 |
1982
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第14回 5月9日 |
なし |
神大 小野寺洋 |
駒沢 後藤 学 |
5月2日雨天→9日に順延 |
1983
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第15回 5月1日 |
なし |
中央 富野淳哉 |
法政 飛田泰秀 |
野音改装のため日本青年館で開催。白井貴子さん飛び入り出演。連盟員400名となる。 |
1984
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第16回 5月5日 |
なし |
神大 和田英人 |
駒沢 堀田寿雄 |
ライブカセットテープ作成(自校分のみ収録)。
ニッポン放送からハワイ・カウアイ島でのフーテ開催を打診される→実現せず。 |
1985
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第17回 5月5日 |
+清泉、−家政 |
中央 井上道博 |
法政 松尾佳紀 |
新入部員の勧誘を関フォー連全体で手伝うことを始める。72年の早稲田脱退についで2校目の脱退(家政)。清泉の加盟。 |
1986
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第18回 5月5日 |
−山脇、慶応 |
明治 植野文弥 |
中央 佐藤貴生 |
山脇、慶応相次いで脱退。 |
1987
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第19回 5月4日 |
+共立 |
法政 馬場次郎 |
駒沢 土田耕史 |
共立の加盟。バンドブームにより、各校部員確保に苦しむ。 |
1988
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第20回 |
−神大、フェリス |
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神大が廃部により脱退、フェリスが短大の廃校により脱退。 |
1989
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第21回 |
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− |
1990
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第22回 |
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以降、1998年の第30回フーテナニーまで開催の記録あり。 |