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 シングアウトの流行

 海外の音楽からシングアウトの歴史をたどると、1958年にキングストン・トリオの「トム・ドゥリー」が全米No1のヒットになったことが火付け役となったようです。1961年にはそのキングストン・トリオが来日、翌1962年にブラザース・フォア、さらに翌年にピート・シーガーが来日しています。

 これらのアーチストや楽曲の人気を受けて、日本では大学のキャンバスを中心にしてフォーク・ソングブームが起き、そのイベントは「フーテナニー」と呼ばれ、各大学の主催で続々と開催されていきました。

 また、日本のフォークソングのアーチストたちが屋外でゲリラ的なコンサートを行う「フォークゲリラ」も流行し、誰もがギター1本で歌えることを証明したことで、トラッドフォークやモダンフォークは大変なブームとなりました。この流行はエレキか生ギターかの違いだけで、ベンチャーズやビートルズの流行と同質の流行であったといえます。

独協
慶応
白百合
法政
家政
神大
Hootenanny2004出演校
出演順は左上から右下へ
(写真は82年のライブレコードより)
中央
山脇
明治
フェリス
成城
駒沢

 日本での流行

 日本でシングアウトが浸透して行ったきっかけとなったのは、1969年11月から放送された「ステージ101」の存在が大きいでしょう。オーディションを通過し、厳しい訓練を経てステージに上がったヤング101が、振り付けをつけて歌う独特のスタイルは、当時の音楽のスタイルとしては大変斬新なイメージを観る者に与えました。そのヤング101のメンバーの中には、太田裕美(「木綿のハンカチーフ」)、高橋キヨシ(「思い出は泪と共に」フェリスの伝統曲)、宮川泰(作曲・編曲者)、かぜ耕士(「涙をこえて」の作詞家)、黒柳徹子(説明不要ですね)、田中星児(「ビューティフルサンデー」)などなど、その後も大活躍した人たちの名前を発見することが出来ます。

 大学のキャンパスから広がっていったシングアウトは、この「ステージ101」のスタイルを継承し、広がって行きました。今回の「フーテナニー2004」の合同曲としても演奏する「涙をこえて」は1969年の「合歓ポピュラーフェスティバル」で作曲グランプリを受賞した曲でもあり、この番組の第1回放送からエンディングで歌われていたシングアウトのバイブルともいえる曲です。

 このシングアウトの型式を踏襲し、フォークソングの研究も行う団体として組織されたのが、関東フォークソング研究会連盟でした。日比谷野音に関東近郊の最大12校の大学が集結し、1969年から毎年「フーテナニー」を開催してきました。その歴史は1998年迄の30年間に渡り続きました。

 今回その「フーテナニー」が6年ぶりに再現されます。中心となったのは1970年代のOBを中心とした”フーテナニー2004実行委員会”です。日本で初の1000人規模の「シングアウト」によるOB/OG合同コンサート。場所もシングアウトとフーテナニーの聖地「日比谷野外音楽堂」。まさに世代を超えた一大イベントです。シングアウトとは何か?その答えは、ここできっと見つかると思います。